本籍が富山の男性の家系をたどりました。現在の戸籍から遡って6世代前までたどることができました。同じ土地で代を重ねてきた家系です。
戸籍をめくっていて何度か目に留まったのが「養子」の文字。
家系をたどるというと、父、その父、そのまた父へと一本の線をまっすぐ遡っていくようなイメージがあるかもしれませんが、実際の戸籍はそんなにまっすぐではありません。誰かが養子として入ってそこからまた次の世代へ。血のつながりだけを見れば途中で線は曲がります。それでも、こちらの家系は富山でつながっていました。
一度、養子になった人がいました
途中で少し気になる養子縁組が出てきました。子どものいない夫婦が一人の男性を養子に迎えます。しかし、その養子縁組は長く続きませんでした。約2年後に養子離縁。戸籍の上ではここで親子関係はいったん終わります。
ところが話には続きがありました。離縁した男性にはその後男の子が生まれます。まず長男。そして2年後に二男。その二男が4歳になったときに動きがありました。養子縁組。養親となったのは、かつてその子の父親を養子に迎え、2年ほどで離縁したあの夫婦でした。
一度は親子になったものの、その関係は離縁によって終わりました。そして今度はその人の二男と親子になった。この4歳の二男が冒頭の男性のお父様です。
なぜ、二男だったのでしょう
長男は実父母のもとに残っています。その2年後に生まれた二男が4歳で別の家の養子になりました。養父母はこのとき59歳。
なぜ一度離縁した男性の子をあらためて養子に迎えたのでしょうか。なぜ長男ではなく二男だったのでしょうか。子どものいなかった夫婦が自分たちの家を次の世代へつなぎたかったのでしょうか。本当のところは分かりません。
戸籍には、いつ誰と誰が養子縁組をしたのかは書かれていますが「なぜこの子だったのか」までは書かれていません。こちらの家は血のつながりだけで一直線に続いてきた6世代ではありません。誰かが養子として入り、その人がまた次の世代へつないでいる6世代でした。
では、令和の戸籍を見てみます
冒頭の男性は長男でした。現在は東京で暮らしていますが本籍は今も富山にある実家と同じ場所です。
そして、この方の奥様にも「養子」の文字がありました。奥様自身が19歳のときに養子になっています。その後、26歳でこの男性と結婚して夫の氏になりました。
二人にの間には二人の男の子が生まれています。長男。そして二男。ここで、現在の戸籍を見てみます。

令和5年に生まれた二男。その翌年、まだ小さなうちに養子縁組をしています。養親となったのは奥様の養父母でした。つまり、19歳の奥様を養子として迎れた夫婦が今度はその奥様の二男を養子に迎え入れたことになります。
父、母、長男とは違う戸籍へ。二男は母の養家へと入っていきました。
数十年を隔てた二人の二男
数十年前。冒頭の男性のお父様は二男として生まれました。長男は実父母のもとに残り二男が4歳で子どものいない夫婦の養子になりました。
そして令和。その息子であるこの男性にも二人の男の子が生まれました。長男は父母と同じ戸籍に。二男は母の養父母の養子に。

数十年を隔てて、よく似た形がもう一度現れました。もちろん、この二つの養子縁組が同じ理由で行われたとは限りません。昔の養子縁組には昔の事情があったでしょう。令和の養子縁組には令和の事情があるでしょう。たまたま二男だっただけかもしれません。
長男は一方の家に。二男はもう一つの家へ。二つの家をどちらも次の世代へつなぎたかったのでしょうか。答えは分かりません。
戸籍には「なぜ」が書かれていません
今回の戸籍の遡りでは、富山で6世代の家系をたどることができました。その途中には何度か養子縁組がありました。血のつながりだけを見れば途中で線は曲がっています。でも家は続いていました。そして、その家系の現在にいる家族にも、また一つの養子縁組がありました。
家系というとどうしても「血のつながり」を思い浮かべますが、それだけではない家族の歴史に出会うことがあります。誰かがある家に入り、その家を次の世代へつなぐ。そしてまた次の誰かへ。
数十年前、4歳の二男が養子になりました。そして令和の今、その家系を受け継いだ男性の二男もまた母の養家へとつながりました。なぜそうしたのか。戸籍には書かれていませんが「書かれていないこと」を少し想像しながら眺めてみると、名前と日付が並んでいるだけだった戸籍から、家族が何を大切にしてきたのかその輪郭がほんの少しだけ見えることがあります。










