祖父の死亡地に見覚えのある町がありました―戸籍をたどって見えてきた、大阪とブラジルを結ぶ家族の足跡

今回の始まりは一人の女性の戸籍でした―「帰化」

昭和44年にこの女性はブラジルで生まれていました。出生地はブラジル国サンパウロ州スザノ市。そして平成11年に日本に帰化。帰化前の国籍は「ブラジル」と記載されています。帰化する前の氏名も残されていました。

この一枚だけを読めば「ブラジルで生まれた女性が日本に帰化した」というお話です。ところが、家族の戸籍をもう少したどってみると少し違う景色が見えてきました。

父は大阪、母はサンパウロ

まず気になったのは両親の名前でした。父も母も日本人の名前です。父は大阪市生まれ。一方、母はブラジル・サンパウロ生まれでした。娘はブラジル生まれ。母もブラジル生まれ。しかし、父は大阪生まれです。

では、この家族はいつ、どのようにブラジルとつながったのでしょう。

手元にあった父方の祖父母の戸籍も確認しました。祖父も祖母も日本人の名前です。本籍は大阪市。少なくとも戸籍の中に「ブラジルへ移住した」といった記載が出てくるわけではありません。ここまでなら、大阪にルーツを持つ家族の戸籍です。

ところが、次に目に留まったのは、祖父の死亡した場所でした。

祖父の死亡地はブラジル国サンパウロ州スザノ市

スザノ市。どこかで見た地名です。そうです、今回の女性が生まれた場所です。孫が生まれた町と祖父が亡くなった町。離れた二枚の戸籍に同じ地名が残されていました。

祖母もブラジルで亡くなっていた

祖母の死亡事項も確認してみました。こちらの死亡地も日本ではありませんでした。

ブラジル国サンパウロ市。

祖父はスザノ市。祖母はサンパウロ市。二人がいつブラジルへ渡ったのかは戸籍からは分かりません。どのような事情で渡ったのかも分かりません。

ただ、戸籍から確認できたことは、祖父母は大阪市に本籍を置く家系にあり、その息子は大阪市で生まれている。そして祖父母は二人ともブラジルで亡くなっている。

その息子も、のちにブラジルで家庭を持ちます。妻となった女性はブラジル・サンパウロ生まれ。そして二人の娘は、スザノ市で生まれました。

ここまで戸籍を並べると、ひとつひとつの地名が少しずつつながって見えてきます。

その向こうにあったブラジル移民の歴史

ここで少し歴史を調べてみます。

日本人のブラジルへの集団移住は、明治41年(1908年)、笠戸丸による移民から本格的に始まります。その後も多くの日本人が海を渡り、特にサンパウロ州を中心に大きな日系社会が築かれていきました。

大阪に本籍を置く祖父母。大阪で生まれた父。ブラジル・サンパウロで生まれた母。そして、ブラジル・スザノで生まれた娘。

この家族の歩みも、日本からブラジルへ渡った人々の歴史のどこかと重なっているのかもしれません。

戸籍には、祖父母が「いつブラジルへ渡ったのか」も「なぜブラジルへ渡ったのか」も書かれていません。なので、背景を知ることはできませんが、戸籍に残された事実から想像することはできます。

戸籍に「理由」は書かれていない

戸籍を読んでいると、その先を知りたくなることがあります。

祖父母は何歳のころにブラジルへ渡ったのだろう。家族で渡ったのだろうか。大阪で生まれた父は何歳でブラジルへ行ったのだろう。ブラジル生まれの母とはどこで出会ったのだろう。残念ながら戸籍はそこまでは教えてくれません。

戸籍はその人の人生をすべて語ってくれる資料ではありませんが、何代かの戸籍を並べてみると、それまで別々に見えていた記録が一本の線につながることがあります。今回の「スザノ市」は、まさにそんな地名でした。

「ここから先は分からない」も戸籍を読む面白さ

戸籍を読んでいると、その空白を埋めたくなるときがあります。この人はきっとこうだったのだろう。この家族にはこんな事情があったのだろう。想像すること自体は戸籍を読む楽しさの一つだと思います。ただ、戸籍に書かれている事実と、そこから想像する物語は別のものです。

ここまでは書いてある。ここから先は分からない。

戸籍の面白さは、すべてが分かることではなく、ほんの少しだけ見えるところにあるのかもしれません。

もう一度最初の女性の戸籍に戻ります。

昭和44年。ブラジル国サンパウロ州スザノ市で出生。そして平成11年に「帰化」と記録されています。ブラジル国籍だった彼女は日本国籍を取得しました。なぜ日本へ来たのでしょう。なぜ日本国籍を取得することにしたのでしょう。それもまた戸籍には書かれていませんが、ひとつの家族が歩んだ長い道のりが少し見えたような気がしました。