今回、目に留まった戸籍はこちら。
戸主 菊池丑松

明治26年に家督相続でつくられた戸籍です。戸籍には戸主がいてその家族が続いていく。いつものように、そのつもりで読み進めていました。ところが、少し先に見慣れない文字がありました。
附籍戸主 木村長之介

……戸主?さっきも戸主がいませんでしたか。戸主菊池丑松。そしてこちらには、附籍戸主木村長之介。戸主がもう一人いる。しかも、菊池さんと木村さん。名字まで違います。
「附籍」という今はない仕組み
もちろん、間違って二人の戸主が書かれているわけではありません。ここで登場するのが、現在の戸籍にはない「附籍」という仕組みです。
明治初期の戸籍では、戸主とその家族だけでなく、事情によってはその家で養育されている人や同居する人などが「附籍」として記載されることがありました。血縁関係のない使用人などが同じ戸籍に入ることもありました。現在の戸籍の感覚からするとなかなか不思議です。
木村さん一人が入ってきたわけではありません
木村長之介さんの名前の上に「附籍戸主」と書かれています。つまり、木村さんが一人で菊池家に入ってきて、その家族になったという話ではありません。木村長之介さんを戸主とする木村家が一家まるごと菊池家の戸籍に入ってきたのです。
なので、戸主菊池丑松がいる戸籍の中に附籍戸主木村長之介もいる。一枚の戸籍の中に菊池家と木村家という二つの「戸」が入っているわけです。それなら名字が違うのも当然です。
それにしても、一枚の戸籍の中に「菊池」と「木村」、そして二人とも戸主。制度としては知っていても、実物を目の前にするとなかなかびっくりです。
もう一つ、気になる記載がありました。木村長之介さん一家が附籍したのは、明治31年7月22日。実は明治31年は、民法や戸籍の制度が大きく変わった年でもあります。附籍という仕組みも、このころ新しい戸籍制度へ移っていく中で姿を消していきます。
そんな制度の切り替わる時期に、この戸籍には「明治三十一年七月二十二日附籍」とはっきり書かれていました。なぜこの時期にこのような処理がされたのか。今回の戸籍にはそれ以上の事情は書かれていません。古い戸籍には「どうしてだろう」が残るものもあります。ここは無理に答えを出さずそのままにしておきたいと思います。
それから約30年後、転籍により全戸除籍
さて、附籍戸主となった木村長之介さん。その後どうなったのでしょうか。事項欄を追ってみても、長い間大きな動きはありません。次に出てくるのは、昭和2年2月2日「転籍」でした。
これがまた面白いところです。木村さんは菊池家から「分家」したわけではありません。どこかの木村家へ「入籍」したわけでもありません。転籍です。
木村長之介さんは、菊池家の戸籍に附籍していても木村家の戸主です。なので、最後も戸主らしく「転籍」の表記でした。
最初に見た「附籍戸主」という少し不思議な言葉が、約30年後の「転籍」という記載を見るとなんとなく腑に落ちます。木村長之助さんは長い間、菊池家の戸籍の中にいながらも木村家の戸主として存在していました。
一枚の戸籍に二つの家
戸主菊池丑松。そして、附籍戸主木村長之介。名字の違う二人の戸主が、本当に一枚の戸籍の中にいる。ここまで「本体の家」と「附籍した家」がはっきり見える戸籍に私は初めて出会いました。
古い戸籍をたくさん見ていると、ときどき、制度の説明を読むよりも、その時代の仕組みを分かりやすく見せてくれる一枚に出会うことがあります。一枚の戸籍に菊池家と木村家。今回はそんな一枚でした。









