下記の戸籍の本籍欄を見てください。

「北海道紗那郡留別村」と書かれています。
現在の日本地図を見てもこの住所は見つかりません。それもそのはず、これは現在の北方領土・国後島に存在した住所だからです。
戦前、国後島は北海道の一部でした。当時は役場があり、住民が暮らし、出生届や婚姻届が提出され、私たちと同じように戸籍が作られていました。
1945年の終戦後、国後島はソ連軍によって占領され、日本人住民は島を離れることになりました。町も役場も、日本の行政機関としては機能しなくなりましたが、日本の戸籍そのものは消えませんでした。
上記の戸籍は、北方領土の戸籍そのものではありません。正式には戸籍の副本の写しです。実際に私が令和7年6月に根室法務局(釧路地方法務局根室支局)に請求し、発行していただいたものです。添付で「この謄本は、当支局に保管している戦前の北方地域の戸籍の副本と相違ないことを証明する」という一文が記載されていました。
戸籍は「人」の歴史を残すもの
戸籍というと「相続のときに必要な書類」という印象を持つことが多いと思います。それはそれで大切な役割のひとつなのですが、誰が生まれ、亡くなり、どこで暮らし、どのような家族だったのかといった人生の軌跡も記録しています。
「ここには確かに暮らしていた人がいた」という事実が、住所が地図から消えても戸籍の中に今も残っています。
歴史の教科書では「北方領土」と数行で終わる出来事も、一通の戸籍を見るだけで、そこに暮らしていた家族の存在が現実味を帯びて伝わってきます。
北方領土の戸籍はなぜ根室法務局が保管しているのか
日本は北方領土を現在も日本の領土であるという立場をとっています。つまり、行政機能は及んでいないが日本の領土であるという考え方です。
戦前の国後島・択捉島・色丹島・歯舞群島は普通の北海道でした。戸籍、住民、土地すべてが日本国内として管理されていました。しかし、1945年8月以降、ソ連軍が進駐し日本人住民は引き揚げます。役場も閉鎖されました。
しかし、日本政府は、行政ができなくなっただけで法律上は日本の領土であるという考え方のもと、法務局が副本などを管理し、現在は釧路地方法務局根室支局が証明事務を担当しています。過去の戸籍は公文書として保存され続けていますので、現在も副本の写しを実際に取り寄せることができるのです。
旧樺太の戸籍の取り扱いについて
一方、旧樺太の戸籍は扱いが異なり、現在は外務省が管理する行政文書として扱われています。
南樺太は1905年の日露戦争後に日本領となりました。しかし、1945年にソ連が占領します。その後、日本は1951年のサンフランシスコ平和条約で樺太に対する権利を放棄しました。つまり、日本は樺太を日本領とは主張していません。ここが北方領土との最大の違いです。
(外務省ホームページより)外務省では、旧樺太6村において用いられていた戸籍簿及び除籍簿の原本を保管しております。これらの戸籍簿等の原本は終戦時に現地から持帰られ、その後に樺太庁残務整理事務所やその業務を継承した外務省外地整理室に持込まれたものであり、戸籍法上の戸籍簿ではなく、行政文書のひとつとして外務省において事実上保管されているものです。これらの樺太戸籍簿等については、便宜的に簡易な手続を設けてその開示申請を受付ていますが、これは樺太に関する戸籍事務を行っているわけではなく、保管する行政文書を求めに応じて開示するものです。保管していない場合にはその旨を回答していますが、これは外務省においては保管されていないことを回答するものであり、当該戸籍の滅失等を証明するものではありません。




