「息子に全部。でも、娘には遺留分があるでしょ」―遺言を書いたその先に起こること

「息子はいつもよくしてくれてかわいいの。でも、娘とは疎遠で連絡も取っていないわ」

先日、そんなお話をうかがうことがありました。お子さんは息子さんと娘さんのお二人。できれば自分の財産は息子に全部残したい。そんなお気持ちをお話しされたあとにこんな言葉が続きました。

「でも、娘には遺留分があるでしょ」

「遺留分」という言葉をご存じの方は意外と少なくありません。遺言で一人の子にすべての財産を残すことにしても、もう一人の子には一定の権利がある。なんとなくそこまでご存じの方もいらっしゃいます。

では、遺留分があるなら「息子に全部」という遺言は書けないのでしょうか。そんなことはありません。「全財産を息子に相続させる」という内容の遺言を書くこと自体はできます。

ただ、そこで話が終わるわけでもありません。一定の相続人には、法律上「遺留分」という最低限保障された利益があります。今回のように子どもが二人で、そのうち一人にすべての財産を残す場合、もう一人の子の遺留分を侵害することになります。

そして相続が始まったあと、遺産を受けられなかった子が遺留分侵害額請求をすれば、受け取った側が金銭で支払うという問題が生じます。ここまでなら法律の説明です。でも、終活として考えるならもう少しだけ先があります。

遺言を読むのは残された人です

お母さんが元気なうちは「息子に全部残したい」というのはお母さん自身の意思の話です。「娘には遺留分がある」というのもお母さんが遺言を考えるうえでの問題です。けれども、お母さんが亡くなれば立場が変わります。その遺言を読むのは残された子ども二人です。

娘さんは遺言を見て「お母さんは、私には何も残さなかったんだ」と知ることになります。一方の息子さんも「母は、自分に全部残そうとしたんだ」と知ることになります。そして、娘さんが遺留分を請求することを選べば、今度はその二人の間でお金のやり取りについて考えなければなりません。

もちろん、必ず争いになるわけではありません。娘さんが請求しないこともあるでしょう。兄妹で話し合って穏やかに解決することもあるでしょう。ただ「息子に全部」と遺言に書いたその先にも残された二人の時間は続いていきます。

「権利」と「気持ち」は同じではありません

もし娘さんが遺留分を請求したとしても、それだけで「お金が欲しかったんだ」とは言い切れないように思います。「どうして私には何も残してくれなかったんだろう」「そこまで母に嫌われていたのだろうか」そんな気持ちがきっかけになることもあるかもしれません。反対に、息子さんには「母が自分で決めたことなのに」という気持ちがあるかもしれません。

どちらが正しい、どちらが間違っていると簡単に言える話でもありません。親子の間にはそれまでに積み重なった何十年もの時間があります。なぜ息子さんには残したいのか。なぜ娘さんとは疎遠になったのか。家族の外にいる人にはわからないこともたくさんあります。だから、遺留分という制度があるからといって「それなら二人に平等に残しましょう」と単純に言えるものでもないのでしょう。

なぜ「遺留分」という制度があるのでしょう

そもそも自分の財産なのですから「誰に何を残すかは自分で決めたい」と思うのは自然なことです。遺言はその意思を亡くなったあとにも実現するための大切な仕組みです。一方で、法律は一定の相続人について最低限の利益も保障しています。そこには残された家族の生活などを考えるという制度趣旨があります。

つまり遺留分は「財産を残す人の意思」と「残される人への一定の保障」の二つの間に置かれた制度ともいえます。だからこそ、遺言を書くときに「遺留分があるでしょ」と気になるのはとても自然なことなのだと思います。

遺言を書いたその先に

遺言を考えるときにはどうしても「誰に、何を残すか」に目が向きます。もちろんそれはとても大切なことです。息子に残したい。娘には残したくない。そこに本人なりの理由があるのなら、その気持ちもまた遺言を考えるうえで大切なものです。

ただ、遺言は書いたところで終わるものではありません。いつかその遺言を読む人がいます。そこに書かれた自分の名前を見る人もいれば、書かれていない自分の名前に気づく人もいます。そして、そのあとも残された人たちの生活は続いていきます。

遺留分という制度を知ることはもちろん大切です。でも、終活として遺言を考えるなら「法律上、書けるかどうか」だけではなく、その遺言を書いたあとに起こることまで想像してみてもよいのかもしれません。