58歳の男性。男性にはお子さんがおらず、90歳になるお母さまがいます。お母さまは現在、介護施設で暮らしています。遺言についてこんな質問がありました。
「母が先に亡くなった場合と、私が母より先に亡くなった場合で遺言は2通必要ですよね?」
なるほど。遺言を作る仕事をしている側からすると、こうした場合は、一通の遺言の中で二つの場合に備えることを考えます。
でも、初めて遺言を書く方からすれば「母が生きている場合」と「母が先に亡くなっている場合」二つの未来があるのだからそれぞれについて遺言を書かなければならない。そう考えるのも自然なことなのかもしれません。
「もし、自分が先に亡くなったら」
90歳のお母さまと58歳の息子さん。年齢だけを見れば、お母さまが先に亡くなる場合を考えますが、亡くなる順番は誰にもわかりません。
男性が気にしていたのは「もし、自分が母より先に亡くなったらどうしよう」ということでした。施設で暮らす高齢のお母さまを残して自分が先に亡くなることになったら。その後のお母さまの生活のことも気にかかっているようでした。
一方で、お母さまが先に亡くなっていれば、その後の財産の行き先については別に考えたい。つまり男性が考えていたのは「母が生きている未来」と「母が先に亡くなっている未来」の二つの「もしも」でした。
二つの「もしも」を一通の遺言に
こうした場合、必ずしも遺言を2通作る必要はありません。たとえば、考え方としては「自分が亡くなったときに母が存命であれば母へ」そして「もし母が自分より先に亡くなっていたら別の人へ」という二つの希望を一通の遺言の中に盛り込むことができます。
「最初に財産を渡したい人が先に亡くなっていた場合には次の人へ」という備え方を、一般に予備的な遺言(予備的遺言)などと呼びます。
名前だけを聞くと少し難しそうですが、考えていることはとてもシンプルです。「もし、その人が自分より先に亡くなっていたらどうしますか?」そこまで決めておくということです。
この考え方は、高齢の親に財産を残したい場合だけのものではありません。特にお子さんのいない方の場合、兄弟姉妹や甥・姪、あるいは親しい方などに財産を渡したいと考えることもあります。
たとえば「自分が亡くなったら兄に財産を遺贈する」という遺言を書いたとします。ところが、その兄が自分より先に亡くなってしまった。そんなとき「それなら、兄の子が代わりにもらうんでしょう?」と思われる方もいるかもしれません。
ここは少し注意が必要です。法定相続には本来相続人になるはずだった人が先に亡くなっている場合などに、その人の子が代わって相続する「代襲相続」という仕組みがあります。しかし、遺言で「兄に遺贈する」と指定していた場合、兄が遺言者より先に亡くなったからといって兄の子が当然に代わって受け取るわけではありません。
法定相続の「代襲相続」と遺言による遺贈は別の話です。だからこそ「兄が先に亡くなっていたらその場合は誰に渡したいですか?」という、その次まで考えておく意味があります。
遺言を書いたあとにも時間は流れていく
遺言を書くときにはどうしても「今」の人間関係をもとに考えます。母に残したい。兄に残したい。姉に残したい。お世話になった人に残したい。
けれども、遺言を書いてから実際にその遺言が使われるまでには、10年、20年という時間が流れることもあります。その間に財産を受け取ってほしいと思っていた人が先に亡くなることもあります。特に、自分と年齢の近い兄弟姉妹などを指定する場合には決して珍しい話ではありません。
遺言を考えるとき「誰に財産を渡したいですか?」ということの他にもう一つ考えておきたいことがあります。「もし、その方があなたより先に亡くなっていたらどうしますか?」
今回の男性は「遺言は2通必要ですよね?」という何気ない疑問からそのことを考えていました。
遺言を書くことは一つの未来だけを決めることではありません。「母が元気だったら」「もし母が先だったら」といういくつかの「もしも」を想像してその先まで決めておく。一通の遺言の中でそんな備え方をすることもできるのです。










