いきなりですが、以下のようなケースを考えてみましょう。
勘違いされている方がいるかもしれませんが、相続人間で協議をして、特定の相続人だけがすべての財産を引き継ぐことになった場合、財産を引き継がない他の相続人は相続放棄の手続きをしなければならないと思っていませんか?
上記の例のように、お父さんが亡くなって、全ての財産を長男が相続するという話でまとまった場合には、「長男がすべての財産を相続する」という内容の遺産分割協議書をつくり、相続人全員が協議書に署名、捺印をして合意すれば、相続放棄の手続をする必要はありません。
しかし、以下の場合には少し話が変わってきます。
それは、
お父さんが残した財産のなかにマイナスの財産(借金などの負債)があった場合
です。
上記の例でいうと、お父さんが生前に町工場の経営をする中で多額の借り入れをしていたなど、負債を抱えていたような場合です。
このような場合では、遺産分割協議で決定した結果(すべての財産を長男が引き継ぐ)を相続人以外の債権者等に対しては主張することができません。お金を貸した側の債権者(例えば銀行とか)は、遺産分割協議の決定にかかわらず、法定相続分の割合に応じて各相続人に対して請求することができます。仮に、お父さんの借金が1,500万円あったとしたら、債権者は相続人の3人にそれぞれ500万円ずつ請求することができます。
こうなった場合に、プラスの財産を受け取らなかった相続人(上記の例では、お母さんと二男は財産を受け取ってすらいません)は、たいへん厳しい状況に追い込まれることになってしまいます。
債権者との間で話し合いがまとまって、財産を引き継いだ長男がすべて支払うことができたなど、うまく解決できれば問題ありませんが、債権者との話がまとまらないとか、財産を引き継いだ長男が急に態度を変えて負債のすべてを返済することを拒んだとか、何かしらの問題が発生したときに、選択できる方法として「相続放棄」を考えることができます。
今回は、言葉は聞くけど、正確に理解している人が意外に少ない「相続放棄」についての基礎知識を学んでいただきたいと思います。
相続放棄とは何なのかきちんと理解しておきましょう
相続放棄とは、分かりやすくいうと
亡くなった方の財産(それがプラスであろうとマイナスであろうと)を一切引き継がないこと
です。
相続放棄にはマイナスの財産だけを放棄できるという都合の良い仕組みはありませんので、プラスの財産もマイナスの財産もすべてひっくるめて相続しないことになります。
民法の条文では、
民法939条(相続の放棄の効力)
相続の放棄をした者は、その相続に関しては、初めから相続人とならなかったものとみなす。
という規定をしています。
「初めから相続人とならなかったものとみなす」と、かなり強い言葉をつかっています。ちょっぴり乱暴に言ってしまうと、「そもそも存在していなっかたものとして考えてよい」ということです。
上記の例でいうと、
二人の兄弟のうちの一人が相続放棄をする=夫婦の間に初めから子供は一人しかいなかった
と考えて相続関係を確定してOKということです。
ですから、代襲相続も考える必要はありません。相続放棄した者に子供がいたとしても、その子供は「初めから相続人とならなかった者とみなされた」者の子供ですから、その相続に関しては一切関係ありません。それほど相続放棄の効果は強力なものなのです。
相続放棄の手続は3か月以内に家庭裁判所に申述します
相続を放棄するには、「相続放棄をします!」と勝手に宣言してもダメで、家庭裁判所のお世話にならなければすることができません。家庭裁判所に相続放棄をする旨を申述しなければなりません(民法938条)。
相続放棄は家庭裁判所に申述しなければならないほど厳格な制度なのですが、加えて期間制限もあります。それは、
自己のために相続の開始があったことを知った時から3か月
です(民法915条1項)。
上記の例では、残されたお母さんや子供たちが相続の開始を知ったのは、お父さんが死亡したその時でしょうから、そこから3か月以内に家庭裁判所に駆け込まなければなりません。
ところで、
「前々から、多額のマイナス財産があることがわかっているし、亡くなって3か月以内に家庭裁判所へ行くのを忘れてしまったら大変だから、早めに手続きを済ませておきたい」と考える方がいるかもしれません。
ですが、相続放棄は相続の発生により生まれる権利です。すなわち、相続発生前に相続放棄をすることはできません。
ちなみに、相続の開始前に遺留分を放棄することは可能です。しかし、そのためには、家庭裁判所の許可が必要です(民法1049条1項)。
相続放棄を選択する際に注意しておかなければならないこと
相続放棄は、期限が3か月に限られてるということ以外にも、自分が相続放棄をすることで他の相続人が迷惑する可能性があるという懸念があります。なので、相続放棄をした後の影響もよく考えて手続きを進める必要があります。
では、相続放棄をするにあたって、注意しておかなければならないことを順番にみていきます。
相続放棄をすることで新たな相続人がでてきたり、相続分が変わったりする可能性があります
すでに説明したように、相続放棄をした相続人は、今回の相続において、はじめから相続人ではなかったものとみなされます。
上記の例の家族構成だと、お父さんが亡くなって、お母さんと二人の子供の全員が相続放棄をするとなると、亡くなったお父さんの両親(おじいさんとおばあさん)が相続人になります。もともと相続人でなかった第2順位の者に相続権が発生してしまうのです。
(復習)相続人の順位についての記事はこちら
また、仮に、お母さんと長男だけが相続放棄をすると、二男がお母さんや長男の相続分もあわせて相続することになります。もともと二男の法定相続分は4分の1だったのが、まるまる全部になります。相続放棄は、他の相続人の相続分までもガラリと変えてしまいます。
お父さんが大借金を残して亡くなり、お母さんと子供が相続放棄をした後は、子供がもともと相続人でなかったことになるから、亡くなったお父さんの直系尊属(おじいさん、おばあさん)がいれば(存命であれば)相続人になります。
だから、直系尊属はその借金を免れるために相続放棄をしなければなりません。さらにその後はどうなるのでしょうか?
直系尊属がもともと相続人でなかったことになるので、お父さんに兄弟姉妹がいれば、その者たちが相続人になります。結局また、兄弟姉妹は借金を逃れるために相続放棄をしなければならなくなります。負の連鎖です。
相続放棄が必要な場合には、最後の1人まできちんと相続放棄の手続きが完了させられるように配慮することがとても大切になってきます。
ちなみに、全員の相続放棄が完了した後は、財産は国庫に帰属します。プラスの財産もマイナスの財産も国の管轄になりますので、あとは国が対応することになります。
相続放棄後に「やっぱり相続したい!」は認められません
相続放棄は、家庭裁判所で手続きをすることによって認められる制度ですので、一旦受理された後は相当な理由がない限りは取消しすることができなくなります。
相当な理由とは、例えば、「強迫されて仕方なく相続放棄してしまった」とか、「未成年者が法定代理人(親など)の同意がないのに相続放棄してしまった」というような場合です。
一方、「遺産分割協議や相続に関する手続きが複雑で面倒なので相続放棄したけど、やっぱり気が変わった」とか、「多額の借金があると思って相続放棄したら、実はプラスの財産が明らかに多いことが判明したので相続放棄をやめたい」というような理由では絶対認められません。
相続財産をちょっぴり使っただけでも相続放棄は認められません
相続が発生した直後は何かと支払いが多くなるものです。葬儀費用や、生前に使った介護費用の支払いなどを済ませるために手元にあった現金を使ってしまったとか、亡くなった方の預金の一部を引き出してしまったような場合でも、相続財産を使ってしまった、すなわち相続をしたとみなされるため、相続放棄は認められなくなってしまいます。
また、亡くなった方に戻ってきたお金(保険料の還付など)を受け取ったり、故意に相続財産を隠すような行為をした場合にも、相続放棄ができなくなってしまいます。
曖昧な調査はだめ!しっかり調査をすれば相続放棄しないで済む場合も
財産の全容がきちんと判明していないのに、借金などのマイナス財産が多いと思い込んで、あわてて相続放棄をしてしまったものの、あとから多くのプラスの財産が発見されたとか、借金があると思っていたけど、よくよく調べたら、実は支払う必要のないものだったなんてこともあるかもしれません。
しかし、相続放棄をしてしまったあとでは時すでに遅しです。相続人は、金融機関に預金残高の照会をするなど、財産内容の開示を求めることができますので、相続財産に関する調査は曖昧にするのではなく、慎重、丁寧にするようにしましょう。
言葉はよく聞く、けれども実際のところはきちんと理解できていない相続放棄の制度。
強力な効果を発生させる絶対的なものなので、実際に選択することになったときは、財産関係を緻密に調査するなど慎重に行ないましょう。
今回の記事で相続放棄の基本的な知識を知っていただければうれしいです。
お父さんと、お母さん、長男、二男の家族がいました。お父さんは町工場を営んでいます。お母さんは専業主婦、長男はお父さんと一緒に町工場を手伝っています。二男は町工場は手伝わず、実家を離れてサラリーマンをしています。
お父さんが亡くなりました。
お父さんが残した財産は、自宅の土地と建物、そして経営していた工場です。
相続人であるお母さんと長男、二男は話し合いをして、
お父さんの財産については、「長男が工場経営や自宅の土地、建物もすべて引き継ぎ、母親と二男は財産を受け取らない」ということになり、お互いに納得した上でそのように取り決めました。